オーヴェルニュの楽屋通信

日仏で活動するヴァイオリニスト小島燎のブログ。広島、京都、パリを経て、現在オーヴェルニュ地方クレルモン=フェラン在住。

フランスのオーケストラのオーディション③

今回で完結しますように・・・。

 

回数は多くなかったとはいえ、そうしたチャレンジをしていたころ、一通のSMSが届きました。

クレルモン=フェランを拠点とするフランス国立オーヴェルニュ=ローヌ=アルプ管弦楽団から、副コンサートマスターのゲストで来てくれないか、という内容でした。

この室内オーケストラの素晴らしさは、それ以前にも複数の知人から聞いていて、いつかご縁があればいいな・・と勝手に思っていたのですが、それが突然訪れたので驚くと同時に、嬉しかったのを覚えています。

ソロ・コンマスのギヨーム・シレムとは随分前に一度、室内楽をご一緒したことがあり、それで思い出してくれたようです。

別の演奏会の予定が入りかけていたところを、無理を言って日程を動かしていただき、お引き受けしました。

 

21人の弦楽器のみによる磨き抜かれたアンサンブルの精度はヨーロッパでも指折りで、その上指揮者陣も充実しており、フランスではちょっと他にないタイプの楽団です。

かつてジャン=ジャック・カントロフが育て、今の首席指揮者はトーマス・ツェートマイヤー。

先に触れたスヴェトリン・ルセフや、ゴルダンニコリッチ(元ロンドン交響楽団)、アモリー・コエイトー(元フランス放送フィル)など、その後名門のコンマスに羽ばたいた方々が経験を積んだ「コンサートマスターの学校」との異名も。

 

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音楽監督ツェートマイヤーとのブラームス:弦楽五重奏曲第2番。

 

行ってみると、その雰囲気のアットホームさ、そして皆さんのうまさと積極性、アンサンブルの盤石さ、「いいものをやりたい!」というモチベーションの高さに驚きました。

リハーサルのうち数時間は分奏で、ヴィヴラート、音程の取り方、指づかい、弓の配分や、場合によってはメンタル面や身体の中の意識まで、大所帯のシンフォニーオーケストラではなかなか触れることのできないような、細かいところまで話し合いながら、1音1音徹底的に磨き上げます。

街も居心地が良く、なんでも徒歩圏内で完結し、物価も安い。

パリの都会生活に少々疲れていた身には、オアシスのように感じられました。

コンサートマスターの席が空席ということで、それ以来、何度も客演で呼んでいただくようになり、何回かはコンサートマスターとしての乗り番もありました。一度など、副コンマスで来たのに、ゲストコンマスの方が本番当日にコロナになり、ゲネプロ一発でドヴォルザークの弦セレに「死と乙女」の弾き振りをする、というタフなこともあったものです。

 

アクロス福岡シンフォニーホールにて。

 

そんな中、決定的だったのが日本ツアーへの同行でした。

客演でとはいえ、フランスのオーケストラと一緒に日本でコンサートができるというのは、とても感慨深い経験で、銀座の寿司屋に連れて行ったり、ラーメン屋や魚民で大はしゃぎしている間に、みんなのことが家族のように思えてきました。

その時点で副コンサートマスターのオーディションは2ヶ月後に迫っており、楽団員や事務局の方に「受けないか?」というお声かけもいただきました。

もちろん、住み慣れたパリを離れることになることもあり、悩まなかったといえば嘘になります。

マーラーブルックナー交響曲が弾けることもありません。

しかし、こんなにも自分にとって気持ちの良くて、やりがいのある職場はちょっと他に考えられない、ということ。室内楽畑で生きてきた自分の持ち味が生かせる場所であること。ソロ・コンマスのギヨームが自分にとって心から尊敬できる人間かつ音楽家であり、そんな彼と一緒に仕事しながら学べる理想的な環境であり、これからの人生が実りあるものになる、と確信できたこと。

何より、自分が受けずに他の人に決まったら、当然ながら客演で呼ばれることもなくなります。

最終的には「この人たちと仕事をし続けたい」という願いに帰着し、受けることを決心しました。

 

しかしここは室内オーケストラ。今まで練習してきた課題は役に立ちません。

1次予選:メンデルスゾーンのコンチェルト2楽章とバッハの無伴奏ソナタ3番の3、4楽章。

2次予選:ベートーヴェンシューマンブラームスのいずれかのコンチェルト1楽章(シベリウスチャイコフスキーもNG。ひねくれている・・・)とオケスタ10曲ほど(見慣れないものばかり)。

最終審査:第1ヴァイオリンのセクション・リハーサルと弦楽四重奏のリハーサル。

 

モーツァルトからのドン・ファン」の流ればかりだったところ、なかなかの変化球。

オケスタもこれまた、ヘンデルの合奏協奏曲、テレマンドン・キホーテ」、ハイドン「告別」のソロ、「フィレンツェの思い出」やヒンデミットの小品、ブリテン「ブリッジの主題による変奏曲」など、初出のものが大半。

そんなわけで、また1から練習していきましたが、なんせ経験値の少ない作品ですし、1次予選でバッハというのも、なかなか身構えてしまうものです。

ただ、すでに中で弾いていたことによって、バロックに対するこのオケのスタイルとか、一般的に目指している音のキャラクターがわかっていたのは、大きな助けになりました。

(実際、前に受けたオケで、音楽監督が目指すバッハの方向性と私のスタイルが違った、と指摘を受けたことがあります。こればっかりは、知らないことにはどうしようもありません)

 

しかし、ここを受けるからにはとにかく絶対受からないといけない。

知っているオケだから有利とは限りません。

このオケでは、オーディションは全ラウンド、楽団員全員+首席指揮者+事務局長+招待審査員2名が審査します(これは結構珍しい)。

わざわざ受けに行って下手なことをしては、客演でも呼ばれなくなるかもしれない、というリスクだって考えられます。

知らないオケなら、衝立の向こうで何をしようが、まあ気楽なものですが・・・。

自分の中では、後はないつもりというか、一か八か、受かることに「決めて」取り組んでいたように思います。

それまで以上に試演会や、ピアニストとの練習を重ね、色々な人にコメントもいただきつつ、できる限りの準備をしました。

さらに前日、パリからの電車が故障で4時間も止まり、一日中電車内に閉じ込められたという散々なトラブルも(当然、ピアノ合わせにも大遅刻でしたが、温かい配慮に感謝・・・)。

色々なことがありましたが、結果的には、自分の持ち味を聴いてもらえる喜びを感じつつ、自分の出せる力はすべて出し切ることができたと思います。

温かい雰囲気を作ってくれた事務局の方々や、ピアニストのおかげも大きかったです。

あと、弾きながら窓の外に見える大自然が、癒しになりました。

 

最終審査の模擬リハーサルでは衝立がなくなりました。

目の前にはこともあろうに、招待審査員でいらした元コンマス、スヴェトリン・ルセフ。

自分が仕切る形で分奏を行い、フレージングや音色について方針を示したり、細かいアーティキュレーションや弓の配分について指示を出したり。

途中で審査委員長のツェートマイヤーによるツッコミが入り、指摘された内容をやり直したり、といった場面もありました。

カルテットの課題は数々の思い出のあるラヴェルの冒頭でした。お相手は各セクションの首席。弓のスピードやユニゾンのバランス、ラヴェルという作曲家の二面性、といったことに触れながら、練習しました。

もちろん、これらも事前に友達に手伝ってもらって、流れを想定していきました。

 

いったん控室に戻りましたが、投票結果が出るのにそれほど時間はかからず、全員が待つリハーサル室に呼び戻されました。

中に入った瞬間に、全員が拍手で迎えてくれ、合格したことがわかりました。

ただただ安堵感に満たされた瞬間でした。

その後一人一人が「おめでとう」とハグしてくれ、家族の一員に迎え入れられたような気持ちでした。

受かったとはいえ、わざわざいらっしゃったルセフにはもちろん講評をいただきました。

衝立の向こうで聴いていても、私の弓の返しからスピードからなにから、全部手に取るように指摘され、脱帽でした(笑)

 

その後、しかるべき人々に報告の連絡を入れ、宿に戻るともうバタンキュー。

すべての集中力を注ぎ込んだとともに、とてつもないストレスが心身にかかっていたようでした。

午後の間中は死んだように眠り、日が暮れてからみんながお祝いにバーに誘ってくれました。

近年まれに味わう、美味しいお酒でした。

こうして、私にとって初めての「オーディション合格」の1日が終わったわけです。

 

今はまだ在籍1年目。

これからまだまだ勉強すること、経験することが山のようにあると思います。

ギヨームは全体の半分の公演しか出演しないので、今後、コンサートマスターとしての乗り番も増えていきます。

これほど学びが多く、やりがいがあり、しかも楽しい職場に巡り会えたこと、本当にラッキーだと思っています。

 

パリ時代の友人の中には、私がクレルモン=フェランに引っ越したことを不思議そうに見る人もいますが、いやいやどうして。

家は今までの2倍広いのに、家賃は今までより安いし、あの暗くて汚いメトロに乗らずに、雄大な火山群を眺めながら通勤(といっても徒歩3分ですが)できるのですよ。

蛇口をひねればボルヴィックのミネラルウォーター。

それにその気になれば、パリまでも電車で一本です(故障しなければ)。

フランスにお越しの際は、パリとモンサンミッシェルだけじゃなく、ぜひオーヴェルニュ地方へ足を伸ばしてくださいね!

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以上、オケマンとして現在地に至るまでの道のりでした♪

フランスのオーケストラのオーディション②

前回の続きです。

その初挑戦以来、「募集があるところには片っ端から受けに行ってみよう!」というつもりでいたのですが、嗚呼、コロナ禍。

度重なるロックダウンで中止になったり、登録者数が少なすぎて流れたりすることが多かったです。

他にも、音楽監督の体調不良、戦争による影響、原因不明の中止など、なかなか思うように受ける機会がない。

もともとフランスは、ドイツに比べると圧倒的にオケの絶対数が少ないので、その中で自分の欲しいポジションとなると、年にそう何回もチャンスがあるわけではないのです。

その上、私は日本と行き来する身。オーディションの日にフランスにいなければ、話になりません。

 

そんなこんなで、今のオケに辿り着くまでに実際に受けたのは、トータル5回ほどだったかと思います。これはかなり少ない方でしょう。

準備したけれど流れたり、書類審査(スイスやオランダなど、フランス国外)を通らなかったりしたものを入れるとその倍以上。

あっという間に終わったものも、先のラウンドまで進んだものも。

時間が押しまくって待ちくたびれたこともあるし、会場の音響が悪すぎることへのショックが音に出たこともあるし、ろくに音出しの場所がなかったこともあるし、出番の3分前に弓が壊れたこともありました。なんでもありです。

しかし、このトライ&エラーの期間はいうまでもなく、とても貴重な経験でした。

 

 

一次予選は九分九厘といっていいほど、以下の2曲は出ます。

モーツァルトのコンチェルト4番か5番の1楽章。カデンツァ有りだったり無しだったり。

R.シュトラウスドン・ファン」1ページ目。これは本当に世界共通課題。

その他コンマスの場合は、ラヴェルマ・メール・ロワ」のソロ(いやらしい・・・)だったり、第2ヴァイオリン首席の場合は、ブルックナーの9番だったり、室内オーケストラだとハイドン交響曲のソロとか、メンデルスゾーン「真夏の世の夢」序曲などが出たこともありました。

 

その他の頻出課題、tuttiとしてシューマン交響曲第2番スケルツォ(個人的にはとても嫌な課題)、モーツァルト交響曲第39番フィナーレ、シェーンベルク浄夜」、バルトークのオケコンなど。コンマスソロとして英雄の生涯シェエラザードブラームス1番、町人貴族(演奏機会が少ないのになぜか超頻出。激ムズ)、マタイ受難曲ツァラトゥストラ、ミサ・ソレムニス、グラズノフ「ライモンダ」・・・この辺りは何度もさらったものです!

その他、ロマン派の協奏曲、バッハの無伴奏の緩徐楽章あたりはほぼ、確定です。

 

それはまあ大変ではあるのですが、「オーケストラで新しい人生を歩む」という明確な目標のためにやっているので、不思議とつらく感じることはなく、むしろ、たった数十秒のオケスタを完璧に磨き上げる作業を通じて、1音ずつ一切の妥協なくさらい込み、メトロノームやチューナーと向き合い、自分の感覚が研ぎ澄まされる感覚が、意外に快感でした。

一瞬のことに、ここまで微に入り細に入り取り組めるのは、オーディションならではでしょう。2時間のリサイタルプログラムでは、無理な話です。

京大入試のときもそういう感じだったのですが、目の前の明確な目標に向けて課題をクリアしていくことが、私は結構好きなタイプです。

 

そして、同じくオケを目指している友人たちと、お互いが受けるたびに試演会をやりました。

友達に聴かれるということは、私にとってなかなかのハードルなのですが、そんなことを言っている場合ではない。ある程度練習したら、あとはとにかく誰でもいいから、人前で何度も弾いて経験を積まないと、いざというときに力は出ません。

特にオケスタは、まったく違う時代やスタイルの曲の抜粋を次から次に弾かないといけないですし、それぞれあっという間に終わるので、何段か弾いているうちに調子が出てくるようでは意味がないし、ブラームスのコンチェルトで息が上がっているところに、突然モーツァルトの39番の軽さに戻らないといけなかったりするわけです。続けて弾いてみたときの感覚をつかんでおかないと、役に立ちません。

それに、オーディション独特の聴き方というものがあるので、コンチェルトにしても、たとえば情熱的だけど走りがちだったり、音が雑になったり、音程が上ずったりするのは、ソリストとしては許される場面だったとしても、オケでは完全にアウトだったりします。

そうしたことを冷静な目で意見を言ってくれる存在は、とてもありがたかったものです。

フランス語ではrodage(ならし運転)と言いますが、とにかくこれを徹底的にやって、客観的に見た時の自分の弱点や癖、どういうところで何が起きやすいか、など、準備やイメージが足りていない部分をあぶり出し続けました。

 

そういう意味で、己と向き合い続けた、とても貴重な期間だったし、実際この繰り返しを通じて、かなりスキルアップしたと思います。特に、自分の音を聴く耳の厳しさが、以前の比ではなくなったし、とにかく自己満足・自己陶酔を排除して、相手に「この人と一緒に仕事したい」と思わせる演奏を追求しました。

 

また、今のオケのところまで辿り着きませんでした・・・。

フランスのオーケストラのオーディション①

 

フランスで8年半生きてきましたが、その中で、日本人の先輩方がブログやインタビュー記事で綴っておられる情報や体験記に、どれだけ助けられたかわかりません。なかには赤裸々に苦労話を語っておられる方もいて、ああ、この人もこんな思いをしながら今に至っているのか・・・と励まされたものです。

現在進行形でフランスで奮闘している私ではありますが、以前の滞在許可証のブログ記事も、当事者にとっては切実な問題、読んでくださった方が結構いらっしゃるようで、これからフランスないしフランス語圏で働こうとされている方に少しでも参考になれば、という気持ちもあり、最近のことをまた少し書いてみようかなと思います。

 

私は2015年にフランスに来た最初の頃から、学生としての数年間を終えたら、こちらのオーケストラで、願わくばコンサートマスターとして働きたいと考えていました。

当時はそれが唯一ヨーロッパに残る手段だと思っており、学生の滞在許可証がもらえるうちになんとか居場所を見つけなければ、というプレッシャーもありました。

 

しかし実際にはすぐにオーディションを受けることはありませんでした。 

以前のブログでも書いたとおり、外国人がフリーランスとして生きていく道があるとは、来た頃はまったく知らなかったのですが、私の場合は大変幸運なことに、2年目あたりから室内楽を中心に色々とお声かけいただくことが増え、その活動と勉強とですっかり忙しくなったので、オーケストラに入ることは後回しになっていたのです。

そして滞在許可証の問題も解消し、アンテルミタンにもなり、生きていくぶんには問題がなくなりました。

フリーランスでいたほうが、勉強を続けながら、自分のやりたい活動を続けられるし、日本との往復にも好都合だと思っていたのと、あとは単なる臆病でオーディションを受けることに踏み出せずにいただけの面も(苦笑)

ともかく当分はこれでいいかな、と思っていたのですが、契機はコロナ禍。

 

突然、コンサートがストップし、私は長期で日本に帰り、有り余る時間を練習に費やしていたのですが、その時に、いずれオーディションを受けるとしても、コンマスに絞るとしたらそんな簡単には受からないだろう(当たり前)し、オケスタにも慣れておかないといけない(何ひとつ弾いたことない)し、コンチェルトももう一度さらい直さなければ・・・と、そろそろ準備していったほうがいいのではないか?と思い立ったのです。

フリーランスとして、次から次へと忙しく旅をして回ったり、必ずしも満足いくコンディションとはいえないこともある音楽祭やオーケストラで、毎回別の人たちと弾いたりすることに、少々心身ともに疲れていた面もあり、そろそろ道を見直したいという気持ちもあったと思います。

 

そんなわけで、2〜3年後に受かればラッキー〜!くらいの気長さで、オケマンなら誰でも知っている教本Orchester Probespielを買って、「シェエラザード」やら「英雄の生涯」やら、片っ端から練習し、オーディションで必ず弾かされるモーツァルトのコンチェルトとロマン派のコンチェルト(私の場合はブラームス)も1から練習し直しました。

 

そうしている時に見つけたのが、フランス放送フィルハーモニー管弦楽団(Orchestre Philharmonique de Radio France)のソロ・コンサートマスター(フランスではsupersolisteと言います)の募集。

フランスでももっとも評価の高いオケの一つで、スイス・ロマンド管に移籍した、あのスヴェトリン・ルセフの後任選びでした。

前任者は私にとって神様のような存在ですし、もちろん、何の経験もない自分にはあまりにも大きすぎるポストだとは思いましたが、その時はとにかくコロナ1年目で、他に目標もなかったし、「一番大きなところを最初に受けておけば、あとは怖いものもなくなるだろう」と考え、チャレンジすることにしました。

こうして一度オケスタやコンチェルトを準備しておけば、どのオケもたいがい似たような課題が出るので、後々役立つだろう、とも。

招待状が必要なドイツと違って、フランスは誰でも受ける権利はあります。

 

フランスではこのクラスのオケのコンマスとなると、膨大な課題が課せられます。たしかこの時は、お決まりのモーツァルト、ロマン派のコンチェルト、オケスタだけでなく、イザイのバラード、バッハの任意のフーガ、そして最終審査では室内楽や、実際にコンマスの席に座ってのシンフォニーや、「弾き振り」の課題もあったと思います。

ソリストとしてもなんでもこなせる圧倒的な技術、スタミナ、集中力、対応力、コミュニケーション能力をすべて持ち合わせている人材しか求めていないということが、課題を見た瞬間に一目瞭然・・・。

すでによそのオケでのコンマスの経験があるか、もう圧倒的なソリストでないと、相手にもされない感じです。

まあ、とにかく時間だけはあったので、頑張って練習しました!

 

44人受けて、2次予選に進んだのがたったの4人。

他のオーケストラのソロ・コンマスの方や、国際コンクール入賞者もたくさん受けていましたが、ほとんどみんな1次敗退。

そもそもオケのオーディションは、1番うまい人を決める場所ではなく、「そのオーケストラが欲しい人材」を引き抜くためのものなので、うまければ次に進めるわけではありません(その最たる例がパリ管弦楽団。ここ数年、何度オーディションをやっても誰も選ばれず、第1コンマス不在のまま!)。

そんなわけで私も次には進めなかったのですが、ラジオフランスの大ホールで、開き直りの精神で、自分なりにはうまく弾けた記憶があります(1次予選はカーテン審査のことがほとんどです)。

くじ引きで最後の方の順番を引いたので、たった5分かそこら弾くまでに、3時間半くらい待たされましたね。

音楽監督のミッコ・フランクが曲を指定する声が衝立越しに聞こえてきたのを、よく覚えています(笑)

ちなみにこの44人という数字は、コンマスのポジションなのでこの少なさですが、tuttiだと100人単位が受けに来ます。

 

この大きなオーディションにいきなり臨んだ、という達成感はあり、挑戦してよかったな、と思うことができ、また機会あるごとに受けていこうと決めました。

案外やってみれば、箸にも棒にもかからないわけでもないじゃないか、とも。笑

首席に絞って受ける以上、20回や30回撃沈することくらい、覚悟の上だし、それだってついに受からないかもしれないので。

外からは見えないことですが、そもそも日本・海外を問わず、いまプロオケの現役団員の方、もちろん一発合格の人もいらっしゃるでしょうが、多くは落ち経験を積み重ねた末の勝利だと思います。だって100人受けて1人選ばれるか、選ばれないかなんですから!

あの樫本大進さんでさえ、二度目の挑戦でベルリン・フィルコンマスになられたとおっしゃっているのですし。

ただ、そのオーケストラが求めるものではなかった、ということに過ぎず、国際コンクールと違って、ダメだったからといってキャリアに傷がつくものでもなんでもありません。

 

あとヨーロッパでは「内部受験」がとても多いので、外部から受けにきた新参者より、すでにそのオケでtuttiとして弾いている人が選ばれて昇格することも、かなりの割合であります。

ベルリン・フィルの元コンマスの安永さんやスタブラヴァ、新コンマスのヴィネタ・サレイカもみんな昇格タイプですね。

病気で惜しまれながら亡くなられたパリ管の第1コンマス、フィリップ・アイシュも。

日本ではコンマスは特別契約のことが多く、そもそもオーディションを経て選ばれることが稀なので、そういうことはまず見られません。

 

ちなみに、この時のオーディションで合格したのは、ある地方オケのコンマスの方でしたが、その後の試用期間で結局、不採用となり、募集は振り出しに戻りました・・・。

 

そんなこんなですから、これから受ける皆さん、どんどん挑戦するしかありません👍

 

その後、今のオケに至るまでの道のりは、次の記事で!

パスポート・タラン(才能パスポート、Passeport talent)審査通過!③

※こちらの記事は2021年にオフィシャルサイトに投稿したものです。閲覧数が多いので、こちらに転載します!

 

さて、passeport talent申請にあたり、前の記事で紹介した、大変曖昧な必要書類リストから想像して、また経験者のアドバイスや他のブログの記事を参考に(この場を借りてお礼申し上げます)、用意した書類は、推計150ページ超え!!

 

①カバーレター(モチベーションレター)

②これまでにフランスで取得した全てのディプロマ

③推薦書10通

④2018年〜2020年にフランスで行った全てのコンサートの契約書、給与明細、もしくはオファーのEメール。また、それを一覧にしたリスト。

⑤2021年以降で既にオファーを得ているコンサートの契約書もしくはEメール。また、それを含め、2024年までに参加するであろうコンサートや音楽祭を、報酬額(推定)とそれを月平均に換算した数値とともに一覧にしたリスト。

⑥今までにフランスで出演したラジオやテレビの記録(スクリーンショットなど)

⑦新聞批評

⑧著名な演奏家と共演したコンサートの写真

⑨経済証明

 

簡単に説明すると、

①自分が、フランスで留学生として学んだ結果として、これまでいかにフランスの音楽界において必要とされ、アクティブに活動してきて、それは今後も保証されており、いかにこの国の文化活動に資する存在であり、この滞在許可証を申請するに値する人間であるかを綴りました。笑

②エコールノルマル音楽院に、修了した課程全てとその成績を記した書類を発行してもらい、パリ国立高等音楽院には、念には念を入れ「修士課程修了」と明記した証明書を依頼しました。

③普段お世話になっている音楽祭のオーガナイザーやオーケストラ、また著名な演奏家に片っ端からお願いしました。年間どれくらいの契約を僕と交わしているか、そのオーケストラやフェスティバルにとって私がどれほど不可欠な存在であるか、・・・みんな二つ返事で温かい気持ちのこもったレターを書いてくれました。本当に感謝しています。しまいには自分が所属するトリオ・コンソナンスでも1通書き、「僕がフランスにいなければ、この将来有望なトリオが潰れてしまいます!」と書いて3人でサインしました(役に立つとは思えませんでしたが)。

④今までの契約書や明細の類は全て取ってあったので、それをひたすらコピー。とはいえ、1つずつ目を通してもらえるわけがありませんので、それはあくまで量を示すため。それとは別に、各公演の日付と場所、共演者や主催者を一覧にしたリストを作成しました。

⑤こちらも同様。「滞在期間中の計画」ということで、この滞在許可証は有効期間が最大4年ですから、向こう4年の計画を提出しました。が、もちろん4年後のコンサートのオファーなんて今現在あるわけがありません。当然、想像と希望的観測で埋めるしかありません。少しでも信頼できる証拠を増やすため、口約束の状態だったコンサートの主催者にお願いして、先んじて契約書を発行してもらったりもしました。

⑥France Musiqueなど大手のラジオ出演の様子、YouTubeにアップされているテレビ局の動画のスクリーンショット(著名な演奏家と一緒に映っている瞬間)など。

⑦インターネットで探し回って全てプリントアウト。自分の名前が出ているところに蛍光ペンでアンダーライン。

⑧活躍していると信じてもらうため、3ページくらいのフォトギャラリーを作りました。もちろん、どこのホールで誰と弾いているのか説明もつけて。

⑨銀行口座明細。これが滞在許可証の有効期間にも影響してくるかと思われます。

 

提出日の1週間前からはこの書類作成にかかりっきりでした。家中ひっくり返して過去の書類を集めたりコピー取ったり、メールボックスを遡ってEmailやPDFの契約書をプリントアウトしたり。このためにプリンター購入しました。

これをホッチキスで整理し、いざ、役所に行ってドサッと提出しました。

さすがにこんな量を提出する人は多くはないでしょうから、驚いたでしょうね笑

 

正直なところ、上の9項目のどの部分が有利に働いたのかは、わかりません。

とにかく心がけたのは熱意を示すこと。読む気の起きない書類の山だけでなく、パラパラめくった時にビジュアル的・直感的にわかりやすい写真やスクリーンショットも添えたこと。各項目に大きな見出しの表紙をつけ、そこを読んだだけで内容がわかるようにしたこと(あとの何十ページは前述のとおり、量を示すため。読んでもらえるとは最初から思っていません)。

そして、「フランスで学生として学んだ結果」が、これらの仕事に結びついているという点を随所で強調したこと。学生身分からの身分変更ということで、そのロジックを伝えることが必要ではないかと思いました。

もちろん、フランス人と遜色ない語学力があると思われるように、自分で書いたモチベーションレターはちゃんと友人に修正してもらいました(私はメールなどのライティングは得意な方ですが、フランス人が公式な書類で用いる改まった表現というのはまた別にありますので)。

 

そんなこんなで、6ヶ月は待つと思われた申請結果が3ヶ月で届きました。

(ちなみに、管轄はパリではなくBobignyの県庁です)

むろん、これにも有効期限と更新というものはありますから、今の活動を継続・発展させることが不可欠になります。

それでも、学生としてではなくプロフェッショナルとして、フランスに正式に認められたということは、一つ心の余裕になります。

留学で来た当時は、学生として学校に在籍し続けるか、もしくはどこかのオーケストラと長期契約を交わす以外、フランスに滞在する方法はないと思っていましたから、フランス人と同じように自由に仕事ができるという、こんな展開は想像していませんでした。

 

少しでも今後来られる方の参考になれば幸いです!

 

追記:カードを引き取りに行ったところ、有効期間は上限いっぱいの4年でした。最初の申請ではせいぜい2年と聞いていたので嬉しい驚きです。やはり、活動計画を4年分しっかり書くことと、推薦書でもそう言及してもらうこと、フランスに迷惑をかけないという意味で銀行残高も多いに越したことはないかと思われます。

パスポート・タラン(才能パスポート、Passeport talent)審査通過!②

※こちらの記事は2021年にオフィシャルサイトに投稿したものです。閲覧数が多いので、こちらに転載します!

 

さて、学生ではなくパスポート・タランの滞在許可証になるとどういう良いことがあるかというと、まずもちろん、学校に在籍していなくてもフランスに住み続けることができます。そして、フランス人同様に仕事をする権利が与えられます。

ところで学生身分でも、法定労働時間の60%の範囲内で仕事をすることはできます。

実際フリーランスのコンサート活動というのは短期の契約を重ねていくわけで、コンサートやリハーサルのある日だけが仕事をしているとみなされるわけですから、法定労働時間の60%を超えるような仕事量になることは・・・まずあり得ません。

(家で練習・勉強している時間、室内楽の場合は毎日コツコツ行う合わせ、それこそが私たちの仕事なのですがね・・・)

 

では何がしたくてこの身分変更を行なったかというと・・・

いつまでも学校に在籍し続けるわけにも当然いきませんし、intermittent du spectacle(アンテルミタン・デュ・スペクタクル)の権利を得られる、という大きなメリットがあります。

これはフランス独特のシステムで、音楽家サウンドエンジニアのように不定期の短期契約をこなしていくような職種に対し、契約が切れている期間(例えば昨日コンサートがあって、今日はフリーで、明日リハーサルがあるとすると、今日は契約がない=「失業者」扱いになるわけです)の収入を保証する仕組みなのです。この制度によって、十数万人の不定期労働者が守られています。私の周りのフランス人音楽家のほとんどがこれに当たります。

 

コロナ禍で、日本をはじめ各国のフリーランスの音楽家が収入の道を絶たれ悲鳴を上げていますが、この制度に守られているフランスのフリーランスは1年以上にわたって仕事がなくても生活が守られています。

これは世界中見渡してもフランス独特のやり方で、多くのカルテットやトリオなど、優れた室内楽グループがたくさん生まれるのも、この仕組みあってのことだと思います。学校を卒業してすぐにオーケストラや音楽院に就職しなくても、食いはぐれないように国が守ってくれるのですから。

ちなみに、フリーランスのための有給休暇もあります!前年働いた分の10%が支給されます。

 

具体的には、年間507時間以上の就労時間を満たしていればこの権利を得ることが出来ます。

原則として、コンサートやリハーサル、レコーディング等を一回(一日)やると12時間労働したとカウントされます。

これはそこまで高いハードルというわけではなく、様々な室内楽やオーケストラのコンサート、レコーディング、そして夏の音楽祭(期間中に6回コンサートがあるとすれば、12時間×6=72時間)などを年間通じてやっていれば、クリアできます。

実際僕も3年ほど前からその基準は満たしていました。

 

というわけで、周りのフランス人たちには「お前なんでintermittentじゃないの?十分仕事してるでしょ!」と言われ続けてきました。そう、彼らは、私が外国人であることを完全に忘れ去っているわけです。

外国人もこの権利を得ることはできますが、そもそもフルタイムで働くことが認められていない学生身分の滞在許可証では、なれません。学ぶことが目的だと言ってカードをもらっているのですから、当然ですね。

 

もちろん就労時間を満たした1年目から滞在許可証の身分変更を申請するという手もあったのですが、問題は、この滞在許可証を得るのに満たすべき要件というのが、全く明らかではないのです。

 

役所によれば、必要書類リストに書いてあったのはたったこれだけ。

①芸術家としての能力を証明する書類。

②フランスでの活動計画と年数。

③活動年数分の経済証明(最低賃金の少なくとも70%。その半分以上を芸術活動によって得ていること)

お金のこと以外、どんな基準を満たしてどんな書類を提出すれば、僕をヴァイオリニストとしてフランスに留まらせることが適当であると判断されるのか、これでは全くわかりません。

周囲にも、この滞在許可証を得て生活している外国人というのは数えるほどしかおらず、十分な情報はありませんでした。

その中でもおそらく重要であろうと思われたのが、やはり「ディプロマ」。「フランスでこれだけ学びました、こんな立派な卒業証書をもらっているのだから私は立派なアーティストです、働かせてください」というのが、一般の人にもわかる明確な筋書きでしょう。

 

対して当時の私は、フランスで出ていたのは私立のエコールノルマル音楽院だけで、これが役所においてどういう判断をされるのか、皆目見当がつきませんでした。もちろん歴史ある素晴らしい学校ですが、大学ではないので、卒業証書はあくまで独自のものであり、学部や修士相当とはならないのです(今はシステムが少し変わったと聞いた気がします)。

下手に申請を出して、もし却下されれば、最悪国外退去という可能性もありうる訳です。

後から「じゃあやっぱり学生に戻ります」っていうのも、通るかどうか分からない話です。

当時パリ国立高等音楽院室内楽修士課程に入ったばかりだったので、まず少なくとも学生としてきちんとやっていくべき時期であり、そのようなタイミングでややこしいことになるのは、是が非でも避けたかった。

ということで、誰が見ても認めるであろうパリ「国立」「高等」音楽院「修士」課程の卒業証明をもらえる日まで、待つことにしたというわけです。

 

2020年6月にそのディプロマを取得。

コロナ禍で少し遅れましたが、学生としての滞在許可証の期限が切れるギリギリ寸前の12月末に申請書類を提出しました。

その内容については次の記事で。

パスポート・タラン(才能パスポート、Passeport talent)審査通過!①

※こちらの記事は2021年にオフィシャルサイトに投稿したものです。閲覧数が多いので、こちらに転載します!

 

ブログページ開設に踏み切った大きなきっかけの一つが、タイトルの通り、新たな身分でのフランスの滞在許可証が取得できることが決まったこと。

2015年9月に留学でフランスに移住してから今まで5年半、私は「学生(étudiant))」身分の滞在許可証でこの国に住む権利を得てきました。

留学で渡航するならほとんどの人がこのカードをもらうことになります。有効期間は在籍する学校や課程によってまちまち。私の場合、最初に在籍したパリ・エコールノルマル音楽院が 1年ごとに課程を修了していくシステムだったため、学校の「登録証明書(もしくは入学許可証)」に記載される在籍期間も1年だけ。そのため、毎年滞在許可証を更新しなければならないという状況が3年間続きました。

 

フランスの役所仕事はお世辞にも効率が良いとはいえず、更新手続きの予約を取り、書類を揃えるところから実際にカードを受け取るまで、下手すると半年かかります。なので滞在許可証の心配をせずに安心して住んでいられるのは残りの半年。とはいえ、日本とは比較にならない数の移民を受け入れてくれる国なのであり、それに対して役所の処理能力が追いついていないのも、無理ないこととも言えます。

とにかく、どんなにフランスに馴染んで生活しているつもりでも、年に一回、この時だけは、自分が「外国人」であること、期限付きでこの国に住むことを「許可していただいている」事実をひしひしと思い出させられるのであり、言葉にもまだ自信のなかった1回目、2回目はとにかく苦痛でした。

 

1回目の更新(2016年度)の時は、窓口がパリ北部Porte de Clignancourtの警察署で、地域の雰囲気は良くないですが、約束の時間に行けばちゃんと対応してくれ、トータルでも2時間以内で書類提出(成績証明、次年度の登録証明、経済証明、住居証明etc.)とレセピセ(本カードができるまでの間の仮滞在許可証)の受け取りが終わったと記憶しています。初めてだったので色々心配で、戸籍謄本が古すぎて文句を言われるのではないかと心配になって、家族に取り直して、外務省のアポスティーユをつけて送ってもらったり、在仏日本大使館の翻訳では認められないことがあるという噂だかブログだかを目にして、高いお金を払って法廷翻訳家に依頼したり、念には念を入れましたが、まあそんな物に一瞥もくれませんし、一生懸命用意した書類も提出を求められなかったり、空振りは色々ありましたが。

 

最悪だったのは2回目(2017年度)、この年から窓口がCité Universitaire(パリ国際大学都市)に移り、ここの対応が本当にひどかった。更新手続きのRDV(ランデヴー)の予約もなかなかうまくオンラインでできなかったり(期限切れの3ヶ月前には予約を取らないと間に合わないが、サイトのエラーが連発して全然機能しない)、ただ書類を提出するだけのために丸一日列に並んだり(飲まず食わず・初冬のパリの寒空の下、屋外で早朝から並ぶ)、カードが出来上がっているのにその通知が来なくて(本来SMSが届く)、その問い合わせをするためだけに再度並んだり(3時間並んだ挙句、一言「出来てるわよ、はい、ここに取りに行ってね、さよなら」)。その上職員の対応や態度は非常に横柄、かつ誘導や時間管理もいい加減で、予約の時間に出向いても数時間待たされることは当たり前。次にいつ建物の中に入れるかもわからないまま、列の前後の人と励まし合いながらただ待つ。建物の扉が開くたび、情報を求める人々がたった1人の職員のもとに押し寄せる。

まだ言葉もそんなに自信がなく、精神的にも今ほど大きく構えていられませんでしたから、不安と疲労は凄まじかったです。

 

3回目(2018年度)でようやく、パリ国立高等音楽院室内楽修士課程に在籍したことで、2年間有効のカードをもらうことが出来、2019年の秋〜冬は初めて滞在許可証の更新のことを考えずに過ごすことができました。

そして4回目、学生としての滞在許可証を更新する代わりに踏み切ったのが、有効期間最大4年のPasseport Talent(才能パスポート)の芸術・文化従事者分野(profession artistique et culturelle)への身分変更でした。これにより、今後のフランスでの活動において色々なアドバンテージが生まれます。

 

その内容や手続きについては次の記事で。

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こんにちは!

ヴァイオリニストの小島燎です。

広島、京都、パリを経て、いまはフランス中部オーヴェルニュ地方のクレルモン=フェランに住んでいます。

フランス国立オーヴェルニュ=ローヌ=アルプ管弦楽団の副コンサートマスターを務めながら、日仏を行ったり来たりしながら演奏活動と、音楽を通じた子どもたちの育成・音楽文化振興に取り組んでいます!

オフィシャルサイトのほうで開設していたブログをこちらに移転させることにしました。

フランスでの活動や、日本での取り組みのことなど、綴っていこうと思います。

よろしくお願いします!