最初の年、文化庁の新進芸術家海外研修制度で行かせていただいた私は、1年間日本に帰ることができない身でした。
日の短い冬を迎えると、なんとなく心も暗くなってきて、ホームシックとはいかなくても、気分が沈むこともありました。
しかし今考えると、1年間フランスに留まったというのはとても貴重な経験で、異国でなんとか自分の居場所を見つけてやっていくという、覚悟ができた時間だったと思います。
もし最初の年から日本と行ったり来たりしていたら、もしかすると日本の居心地の良さ、仲間や家族の存在に甘えてしまい、フランスでちゃんと1人で生きていこうとしていなかったかもしれません。
2年目からはかなりの頻度で日本と往復するようになりましたが、すでにフランスが自分の本拠地だ、と思っていたので、それほど日本が恋しくなったりも、フランスに愛想を尽かすこともありませんでした。
というわけで、1年ぶりの帰国を満喫し、2年目を迎えた2016年の秋。
2012年のラヴェルアカデミーで一緒に弾いたチェロのアレクシから、一通のメッセージが届きました。
「カルテットを組まないか」との誘いでした。
アレクシとは、この少し前に久々の共演を果たしていて、パスキエ先生&フレンズということで、ラヴェルとシューベルトのカルテットをやったのでした。
その時、私は1人でイザイの6番のソナタも弾いたのですが、彼は興味津々に本番も客席で聴いてくれていた。
そのとき、私の演奏をいいなと思ってくれたそうです。
カルテットを組むお誘いは、それまでも何人かの方からいただいていたのですが、パスキエ先生のところでソロのレパートリーに取り組むと決めた以上、1年目からカルテットに没頭するのはちょっと・・・と当時は思っていたのでした。
まだこの先自分がどうなるのか、まるで見えていない段階だったので。
ただ1年経ってだいぶ様子がわかってきて、カルテットもいつかは本格的にやらないといけないとは思っていましたし、彼の様子からして、ただの人数合わせで誘われているわけではないこともわかったので、これは運命かなと思って、引き受けることにしました。
ダフニス四重奏団、Quatuor Daphnisの結成です。
もちろん「ダフニスとクロエ」のダフニスです。
メンバーは、ファーストがエヴァ・ザヴァロ、セカンドが私、ヴィオラがヴィオレーヌ・デスペルー、チェロがアレクシ。
ヴィオレーヌはここ最近、サイトウ・キネン・オーケストラでも毎年来日しています。
エヴァは、今年の音楽休暇村に来てくれて、初めて日本でも共演しました!
エヴァは当時、ミュンヘンでユリア・フィッシャーに師事しながら、すでにフランスでもソリストとして活躍中でした(お父さんは作曲家、お母さんはフランス国立管の第2コンマスという音楽一家)。
そんな彼女らが色々なところのツテを回ってコンサートの機会を引っ張ってきてくれて(私はもちろんそんなコネはない)、2017年の夏には旗揚げ公演を敢行。
それぞれの活動が忙しかったこともあり、練習は集まれるときにまとめて、という感じでした。
パリ音楽院の学生同士で結成するとなれば、毎日でも集まって練習するので、それに比べればかなり緩め。
それでもコンサートが近づくと、エヴァの祖父母のお城(!)で合宿するなど、根を詰めて練習しました。
プログラムは、モーツァルトのニ短調(15番)、シューベルトの断章、そしてラヴェル。
とにかくイマジネーションが豊富で、音楽的な引き出しも膨大にあり、音楽的主張がはっきりしている彼ら。
最初は自分がどう思うかとかよりも、彼らの思っていることや感じていることを理解しようとするだけで精一杯、という感じでした。
そうでなくたって、フランス語で熱くディスカッションが始まれば、この話好きな私が、ひたすら聞き役になるのも、当然。
譜面をとりあえず形にするなんて次元ではなく、楽譜の行間からなんとか新しいひらめきを見つけようとする彼ら。
縦の線をきっちりさせることしか最初に思い浮かばない私と、それを壊してでも流れを作りたいエヴァ。
フレーズや和声的に自然ではない形で、アンサンブルが揃っていても全然ハッピーじゃない。
音程感もきわめてセンシティブで、私のものさしは通用しない。
彼らが弾きながら、当たり前のように感じていること、聴き取っていることを、私は感じられない、聴き取れない。
いや、この前の音楽休暇村のシューベルトの五重奏でこそ、エヴァとはお互いの手の内をわかり合って弾けた気がしたけれど、この当時は、他の2人も含め、彼らと同じ土俵に立つこともできず、しかも言葉の壁もある。
念のためですが、彼らは本当に最高の人たちです。
ただ、どんな人間が集まっても、4人という人数は本当に難しい。
完全に自分を見失った時期もありました。
あれこれ考えすぎ、本当にヴァイオリンの弾き方がわからなくなったこともあった。
彼らの考えを汲み取りながらカルテットで弾いている時の自分は、まるで自分自身じゃないような気がしてきたことも。
こんなのカルテットあるあるで、全然特別なことじゃないと思います。
しかし、このダフニスでの経験は、今の自分にものすごく役立っているなと思います。
フランスの若い世代が音楽をどう見ているのか。どういう美学で音を出しているのか。
それに対して私に足りないものはなんなのか。
初めて見聞きすることばかりでしたし、私が当たり前だと信じていたことが、むしろタブー視されることも。
そういうことを実地で、肌で感じることができました。
いま、音程の取り方ひとつにしろ、フレーズの運びにしろ、ひとまず自分なりの考えをまとめて言えるのも、彼らに裏付けてもらったことだ、という意識もあってのことだと思います。
それは音楽に直接関わる部分だけでなく、感じていることを伝える言葉の引き出しだったり、まず何に最初に注目するかという順序だったり、もあります。
カルテットをやる前の自分では、どうにもならなかったと思います。
当時はまったく感じられなかったこと、聴き取れなかったことが、今では自分の中の常識に置き換わっています。
その後もコンサートの機会があるごとに練習、という感じのままでしたが、フィルハーモニー・ド・パリの若いカルテットのためのコンクールで入賞したこともあったし、時々は音楽祭にも呼んでもらえることもありました。
まだ初心者マークのアレクシの運転でツアーしたこともあったし、当日になって急にレンタカーの予約がキャンセルになり、エヴァのお父さんに急遽助けてもらったこともあった。
パリでオペラもやったし、プラハにも行ったし、france musiqueの生放送にも出た。
そしてパリ国立音楽院の室内楽科修士課程に入ったのも、このカルテットで、でした。
結局あまり多くのレッスンは受けられなかったけれど、ジャン・スレム先生の温かいまなざし、エベーヌQやモディリアーニQのマスタークラスなど、印象深い思い出はいろいろあります。
しかしこの入学にあたっては、私のディプロマ問題をめぐり、事務との壮絶なバトルがありました。
別の記事で改めてお話しします。
音楽のこと、それ以外のことで、ケンカも何度も起きた。
いろいろと耐えられなくなって、私がコンサートを降りてしまったこともあった。
当時は、幸せなことの倍くらい、悩んだことが多かったかもしれない。
それでも、彼らと真剣にカルテットをやったことは、全く後悔していないし、本当に感謝しています。
アンサンブルアカデミーの指導ができるのも、彼らのおかげです。
いろいろあって、コロナ禍を機に活動停止となりましたが、メンバーのそれぞれとは、これからも一緒に弾けたらいいなと思っています。
もちろんエヴァとは音楽休暇村で弾いたばかりだし、ヴィオレーヌとは来夏、ゴルドベルク変奏曲をやることになっているし、アレクシとはナントのラ・フォル・ジュルネに行きます。
フランスは、本気になれば、カルテットだけでもほぼほぼ飯が食えるシステムになっています。若いカルテットを応援する仕組みもいろいろあります。
同時期にパリ音楽院に在籍していた他のカルテットは、本当にその道に人生を懸けて取り組んでいて、毎日顔を突き合わせ、コンクールにも次々に出ていました。
そういう本物のカルテットのあり方には、及ばない私たちだったと思います。
自分たちでもそう言っていたし、その事実にフラストレーションを溜めることもあった。
でもカルテットに命をかけようとは、最後まで思えませんでした。
それでも言えること。
これから留学する方、ヨーロッパの音楽を吸収しようと思ったら、現地の同世代の仲間と室内楽をやるのが一番です。
すでに友達同士の彼らのところに、日本人が分け入っていくのは、並大抵のことではないけれど、なんとかしてそのチャンスを見つけてほしい。
もちろん先生に習うことも大事です。
でも一緒に弾く仲間からの影響はそれを超えてくるものがあります。
波長も合わないと感じるだろうし、自分の美学や常識そのものがひっくり返されるので、最初はとてもつらい。
でもそれを乗り越えるといつのまにか、作曲家と同じ息遣いを自然と感じる自分に出会えます。
音のセンスから、フレーズ感から、和声感覚から、なにからなにまで。
自分が心からそう思うようになるのです。
先生にこう言われたからこうする、の次元ではできないことです。
変な話ですが、練習の時間にちょうどいい感じに遅れていく、なんてこともできるようになります。
たった10分遅れて謝る人なんてどこにもいません。
心の持ちよう、時間感覚、そのあたりも少しずつ、フランスの波長に合わせていくのです。
以上、フランスで初めて組んだ室内楽グループ、Quatuor Daphnisのお話でした!
次に組んだトリオ・コンソナンスが、さらに私の視野を広げてくれる存在となります。
次回へ続く。