書き出すと止まりません。
もはやコンクールではない話題も混じっていますが、自分の中ではつながっていることなので。
さて、大2の夏休みに参加したラヴェルアカデミー。
本当に偶然、小川響子ちゃんと、町田匡くん(現在、日本フィル団員)も参加するということがわかり、パリの空港からは一緒に行動したのでした。シャルルドゴールからオルリー空港への連絡バスがどこに来るのかわからなくて、なかなかの珍道中だったけど、楽しかったなあ。
この時の経験が、それまでドイツしか考えていなかった自分が、コロッとフランスに寝返った大きなきっかけでした。
ラヴェルも愛した、さんさんと輝く大西洋の太陽のもと、大好きなパスキエ先生と過ごす時間。
それはレッスンというよりも、音楽について話す時間。
コンクールを受けるから曲を練習する、というのが当然だったルーティンから完全に脱け出し、美しい音楽と向き合ってさえいればいい2週間。
公開レッスンでは、地元のお客さんがぎっしりと客席を埋めて、コンサートさながら。
ラヴェルのソナタの3楽章を弾き終えた時の拍手喝采は、忘れられません。
フランスのお客さんってこんなふうに自分の演奏を受け止めてくれるんだ、と感激しました。
室内楽も楽しくて、マントヴァーニの五重奏のピアノは、パリ留学の大先輩・深見まどかさん!ヴァイオリンのピエール=エマニュエルとヴィオラのギヨームはフランス人、チェロのニルはパリ音楽院在籍中のトルコ人。
変拍子だらけで、はじめのうちは大混乱のリハーサルでしたが、笑いの絶えない、楽しい練習でした。
イル=ド=フランス管弦楽団に入団したギヨームとは今でもたまに仕事が一緒になります!
ドビュッシーのピアノトリオを一緒に弾いたのは、フランス人のジュリーとアレクシ。2人ともパリ音楽院在籍中でした。このうちアレクシとは、のちにカルテットを結成し、どっぷりと一緒に弾きましたし、ほかのオケや音楽祭の仕事もたくさん繋いでくれました。パリでフリーランスとしてやっていけるようになったのも、一つには彼のおかげです。
考え方、感じ方、コミュニケーションの取り方、なにもかも違う彼らとのリハーサル。ちょっとストレスを感じなかったわけではないけれど、好奇心の方が強かったですね。
この2曲はコンサートでも演奏しましたが、特に教会でドビュッシーを弾いたときは、本当に幸せでした。
合間の時間に海辺でカフェしたり、響子ちゃんや町田くんと家でご飯作って食べたり、パスキエ先生にくっついていったり、とにかく楽しい毎日でした。
これ以上書いているとコンクールの話題に戻れないので、続きはまたいつか。
この体験を経て、ますます日本から出ることを望むようになった私でしたが、どうもコンクールへの未練はしぶとい。
受けないのは「逃げ」なんじゃないか、やっぱりタイトルは必要なんじゃないか、と思ってしまうのです。
大2の冬、宗次エンジェルコンクールの課題曲をみると、二次予選に、なんと勉強したばかりのドビュッシーのソナタがあるではありませんか。
一次も、バッハの無伴奏ソナタ3番の3〜4楽章に、イザイの6番という、ちょっとチャレンジ精神をそそるもので、二次のヴィルトゥオーゾピースには、得意のカルメン幻想曲も使える。
これなら楽しく取り組める、そう思って出場しましたが、いや、現実はそう甘くない。
準備の段階では結構いい感じで、イザイもバッハも安定して本番で弾けるようになっていたのですが、コンクールという場になった瞬間、まるで実力が出しきれない。
大勢が次から次に同じ課題曲を弾く中、番号で呼び出されてステージに立たされる。
なんで自分がここで弾いているのかわからないのです。
こういうコンクールというのはどっちみち、将来ソリストとして世界に羽ばたいていく人が何人かいるので、自分が予選ひとつ通過したところで、どうなるものでもない!なんて思っちゃうのです。最初から気持ちで負けているんです。
ラヴェルアカデミーで、満席の聴衆を前に自信満々で弾いていた自分はどこへやら。
フランスでもらった盛大な拍手と、楽しい室内楽の経験のあとに、このコンクールでの完全なる挫折経験。
私が、どうみてもコンクールでのし上がっていくタイプではないこと、たとえ一時的にでも勝ち負けで音楽することが耐えられない人間であることは、もう明白でした。
この直後、大学を出たらフランスに行くと決心し、フランス語教室に入会。
少なくとも留学するまでもうコンクールはやらない、と決意していました。
「パガニーニのカプリスが全部弾けないようなことで、将来どうするんだ」と父には言われましたが😆
もう、自分のやりたいことをやりたいようにやるんだ、と決めていました。
「これからは本当に愛する曲だけをお客さんのために弾きたいと思います」と小栗先生にもお伝えしたところ、温かい励ましのお返事をいただいたこと、忘れられません。
大学3〜4年は、リサイタルをしたり、室内楽の自主公演を企画して芸大の友達を招いたり、フランスで出会った友人とデュオをしたり、学校アウトリーチをしたり、大阪フィルにエキストラで呼んでいただいたり、自主企画で指揮なし弦楽オケの弾き振りをしたり。たまにはレコーディングやパーティ演奏の仕事もして、アマオケとコンチェルトも弾いて。
やりたいことをやりたいようにやっていました。
京大オケなどのアマチュアの仲間でオクテットのコンサートをしたのは、もう本当に楽しかった。
その時の仲間が、いまでも一番の親友です(チェリスト諸岡拓見氏含む)。
京都フランスアカデミーにも毎年行って、パスキエ先生や、オリヴィエ・シャルリエ先生にも習ったし、パスキエ先生を追っかけてハンブルクの講習会にも行った(当時学生で、いまアンサンブルアカデミーを一緒にやってくれている重野友歌さん、お世話になりました〜!)し、ルーマニアの演奏旅行に連れて行ってもらったり(この時に知り合ったのが、佐久間聡一さん♪)、小澤国際室内楽アカデミー奥志賀や、小澤征爾音楽塾に参加したり。
小澤アカデミーは私にとって衝撃的でした。
音大に行かなかった私ができなかったことの一つが、室内楽にどっぷり浸かる経験(でも最近聞くところによると、音大に行っても、みんながみんな、思うように経験できるわけではないようですね💦)。
当時の私の同年代の人たちは、とびきりスターが多くて、芸大でも桐朋でも、みんなそれぞれグループを掛け持ちしたりして、すごく盛り上がっているように見えました。
見なきゃいいのに、またそういうのをSNSで見てしまうのですねえ・・・
音大に行きたいと思ったことはなかったはずなのに、音楽を通じて仲間が広がっている様子を見ると、それはちょっと羨ましかったですね。
「音大に行かなかった燎くんは人脈がなくて苦労するぞ」なんて、先輩の音楽家から言われたこともありましたし。
そんな中、小澤アカデミーの仲間に入れていただき、原田禎夫先生らに、アンサンブルの何たるかを、斎藤秀雄メソッドで叩き込んでいただいたのは、大きかったです。
東京オペラシティでのファイナルコンサートは、かけがえのない思い出になっていますし、小澤塾の「子どもと魔法」も印象深い経験でした。
そういえば、コンクールとは違うもので、「ABC新人コンサート」にもチャレンジしました(今は廃止)。
予選、本選を通過すると、ザ・シンフォニーホールで弾かせてもらえて、さらにその中で選ばれた人がオケとコンチェルトを弾けるというもの。
自分が真心をこめて演奏できるショーソン「詩曲」で出場したところ、想いが届き、シンフォニーホールで演奏できることに。
オケとの共演には至りませんでしたが、この舞台で自分の音楽をやれたこと、自分の中で大きな財産になっています。
人との優劣じゃなく、自分も1人の音楽家なんだ、と思わせてくれました。
直後、大阪フィルのエキストラに行ったら、聴いてくださっていた団員さんが「本当によかったよ」と言ってくださって、あ、伝わったんだ・・・と。嬉しかったですね。
コンクールから足を洗って、本当に自分がやりたいことに時間を費やしたこの2年間。
自分らしい音楽、自分の好きな曲、一緒に弾きたい仲間。
そういうものに囲まれているうち、はじめてヴァイオリンという楽器が好きになり、音楽の楽しさを思い出し、自分の演奏に自信をもてるようになりました。
もうあとはパリに行って飛躍するだけ。
という心持ちでした。
フランスに行ってからも2、3回ほど、思い立って国際コンクールにチャレンジしたことがあるのですが、自分の中ではそれはあまり大きな存在にはなっていません。
フランスに行ってからは、自分らしさを見出し、自分で自分の良さを認められるようになり、思い切りステージに立てるようになったので、日本で受けていた時に比べれば圧倒的に、コンクールでも堂々とした演奏ができていました。
結果に結び付かなかったのは、ヴァイオリンの技術が足りないからではなく、精神が弱いからでもなく、単なる自分の勉強不足だったな、と今は思っています。
その後、コンサートマスターを目指したいと明確な目標を描き始めた段階で、私の中でソロのコンクールというものの意味が完全に消失したので、それ以来、一切受けてこないまま、年齢制限をオーバーしたという次第です😉
これにてコンクールの話題は終了。
私にとって、コンクールというのは基本的に辛い思い出の象徴ですが、その中でもがいたこと、悩んだことは、今の自信にもつながっています。
練習に練習を重ね、コンクールがとことん自分の世界ではないと思うまでやったことで、逆に確信を持って、自分の道を歩み始めることができました。
今、幸せにステージに立てているのも、この積み重ねあってのことだと思います。
やらなかった人にはない強さを持てたとも思っています。
なので、やらなければよかったとは思っていません。
さて、フランスに来てからの9年間は、コンクール以外のことが圧倒的に自分にとって大きな意味を持つようになります。
つまり、人との出会い、つながり、コンサート、音楽祭、室内楽、オケ。
次からはそのことについて書いていきたいな、と思います。